i の生存も確認できたので
最終日は、思い出たっぷりの調布市の飛田給へと。
東京時代は、京王線の仙川、調布、飛田給と住み渡りました。
今回は、iの入院していた病院の最寄り駅である飛田給へ。
と、それよりも驚いたのは、調布駅他が地下駅になっていたこと。
その昔、調布駅隣の踏切は、20-30分ほど開かない有名な「開かずの踏切」だった。
飛田給駅は、東京ヴェルディの本拠地「味の素スタジアム」ができ、
見違えるように綺麗になった。
が、これは、Dr.りふれにとっては非常に残念と言うより悲しい。
駅と駅周辺が、全く変わってしまっていた。
世界一マズい中華料理屋。いつ開いているかわからない弁当屋が跡形もなく無くなっている。
中華料理屋は、「味自慢」と看板を出しながら全ての品に味は無し。
挙げ句の果て、皿うどんの下に乾燥剤が入っていても「あっそう!」ですまされた。
弁当屋に関しては、弁当の選択肢なし!毎回、麻婆なす弁当のみ。しかもいつ開いているかわからなかった。
当時は、腹が立ったけど懐かしい思い出です。
駅の反対側には、駐車場のオーナーだった肉屋さん。これも無くなっていた(涙)
駐車場代を払いに行った時、大きな高級ステーキ肉が900円とあった。給料日スグだったので奮発して注文。
会計は、約3000円だった。世間知らずのDr.りふれは、900円/100gとは知らなかった。
しかし、マカロニサラダ100g注文をしたときは、「120gにしといたよ!」ってサービスもしてくれました。3000円は痛かったが、嬉しくてありがたかった~。
その前にあったのは、緑あふれる確か….何かの研究所だったかな?それも更地となっていた。ナウい(これも死語)男前にしてくれた散髪屋も跡形もなく…
幸いにも、駅から徒歩2分(走って1分)のアパート周辺は、比較的変化が少なかった。
当時は、新築で駅近、家賃も安く、大家さんも優しく女の子ウケも良いアパート。
掘り出し物の物件だった。
あぁ、懐かし~ぃなぁ!ここから関東にあった数箇所の勤務地に通った。
最も遠かった勤務地の本厚木まで2時間半かけて行っていた。
残っていたのは、アパートのみか…
せめて、駅だけでも写真に残しておくべきだった!
町が栄えるのは、良いのか悪いのか?
時代の流れが、悲しくなる…
弁当屋の跡地は、あの大勝軒に
この更地は、どっかの研究所だった